先日、長年アタクシのアシスタントを務める超絶有能秘書のNが貴重な資料を持ってきてくれました。以前からアタクシが頼んでいたものです。


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1977年の丸スペシャル。
見た目が一番派手だったのと、他の資料は写真を載せるのもどうかと思われたので画像はこれだけです。
遺品ですので丁寧に読ませて頂き、他の資料と共に既に返却しております。


さらに貴重な乗組員名簿なども拝見させてもらいましたが、もうご存命の方も少ないのだと思います。




貴重な資料


Nの祖父は帝国海軍の空母飛鷹に乗って太平洋戦争に参加した軍人です。飛鷹はアメリカ軍の攻撃で沈みましたが泳いで味方の船までたどり着き生き残った人だそうです。
他にも同じように泳いで助かった方が居たそうですからとんでもない身体能力と強運です。
その後、日本に帰ると修理中の姉妹艦である空母隼鷹に乗り継ぐことが決まり、修理の完了を待っているところで終戦を迎えたとのこと。
両艦共に商船を改造した空母ですが、話を聞く限り空母化することを前提に造られた民間船のように思えます。戦時の空母というと巨大な砲を装備した大鑑巨砲主義を引きずったような艦が多かったり、多層の飛行甲板を持ったミルフィーユのようなものが印象深いのですが、飛鷹も隼鷹も艦橋のスタイルも含めかなり現代空母に近い印象を受けました。


攻撃された時の艦内の様子についてはNが以前に聞いており、写真を見ながら説明してもらいました。内容的にここに書くことは控えさせていただきますが、映画や小説とは違った、その場に居た人間しか知り得ないことが聞けたのは大変勉強になりました。


今はアメリカと戦争していたこと自体を知らない人も居るようです。少なくともアタクシは知ってはいますが、様々なフィルターを通した後の情報しか知ることは出来ないと感じています。いや、感じることが多いです。
そうやって教育されてきましたし、教育とはそうしたものだとも分かっているつもりです。




直接見て聞くということ



そういえば艦これブームの際、軍艦を女の子に見立てるというのをやりすぎだと感じた人が居たようですが、昔から船と言えば「彼女」「she」で呼ぶのが世界標準だったそうで


・ワガママで機嫌取りが大変
・付き合ってからの方が金が掛かる


と言った理由(後付けっぽい)が多くの船乗りの共感を呼び、現在まで世界中で伝統化しているというのは面白いです。
こうした話は船乗りに直接聞いて初めて分かることじゃないかと思います。
それを踏まえて艦これを見てみると、なるほどと感じる部分も無い訳ではありません。



何だか畏まった記事になってしまった感じがありますが、別に何でも良いのです。



仕事で知り合った方で


( ☆∀☆)「刀剣乱舞で推しのキャラが出来たので友達と本物の日本刀を見に行ったんですよー!」


という女性が居ましたが、実物はとても片手で振れそうな代物では無かったということで、新鮮な体験が出来て良かったそうです。
確かに暴れん坊将軍などの殺陣を見慣れていると、日本刀というよりゴムホースに近い速度で振り回しています。
本物は鋼鉄で重い、と実感したことで想像がさらに捗ることでしょう。







まとめ


今回はたまたま取り寄せが可能なところに興味深い資料があることが分かり、こうして直に接することが出来ました。
もしチャンスがあるのならば、フィルターを通さない証言や資料に目を通し、認識とのズレを修正する機会を持つのも良いのではないかと思います。


○○の実物を見に行くぞ!
○○が本当のことなのか確かめるぞ!


こうした姿勢は一応の教育過程を終えた大人にこそ必要なのかもしれません。