平成も終わりが迫ってきました。
今年は災害が多い年で犠牲者もたくさん出てしまいました。
多くの方がこの世を去りましたね。
アタクシの義兄も今年旅立ちました。



多くの方がこれから経験するであろう近しい人との永遠の別れ。
どんなに事前に心の準備をしていても、人によっては立ち直れない程のショックを受けたり、自身の健康を損なう程の精神的なダメージを負うことも少なくありません。
いつ遭遇するか分からないこうした事態を経験をする前に、是非読んで欲しいのが今回の記事となります。


最初に申し上げておきますが、この記事を読んだ先に〇〇への入会をお薦めします、とか、この〇〇をお買い求め下さい、といったような展開には決してなりませんのでご安心ください。


また特定の宗派に属する方は、ご自身の信仰する対象や教義と照らして読んで下されば幸いです。
これから先の文章にはどこの国のどんな宗教も否定する意図が無いことを明記しておきます。
それからこの記事はかなりの長文となりますので分割して掲載しております。
いつものような暇つぶし、といったものでは無くなります。
ですが、時間に余裕のある時にでも目を通していただければ幸いです。







人は死んで何処へ行くのか




霊魂をマジメに考える

 

 


はじめに

 

霊、幽霊、お化け。

子供の頃から慣れ親しんだこれらは、この世界には実在しない、概念としてのみ存在するものを指す言葉とされていた。

私も子供から大人へ成長するに従い、幽霊やお化けといったものは、現実には居ないが人々の心の中に存在するイメージのようなものだと理解するようになっていった。

だからこそ、こうした現実には居ないものを追い求める人々を、大人になり切れていない人間だと思い込み、オカルトのレッテルを貼り相手にしようとしなかった。

そして技術の進歩によって、現代人は自分専用のコンピューター端末や高解像度カメラを手軽に持ち歩くに至った。心霊写真や映像は長い時間と手間を掛けずとも、人工的に作れるようになり、映像解析技術は過去のミステリを容易く解き明かしていく。だがこの段階に至っても、作成困難あるいは解析しても分からないといった、不可解なものが無くなってしまった訳ではない。むしろはっきりと人工的なものが判別出来るようになった分、それ以外、が際立つようになった。不可解な、それ以外のもの、を説明することは未だに出来ていないのだ。

 

昔、人間の死や霊魂を、他の分野の学問と同列に扱っていた時代があった。古代エジプトでは人間の死後、肉体を離れた霊魂は幾つにも別れ、一部はこの世に留まり一部は天に上り、といったように、具体的にその役割についても定義されていた。そうした霊魂観を理解せずにピラミッドやミイラを見ても、木を見て森を見ず、ということになる。

優れた建築技術や、高い科学的知識は独立して存在した訳ではなく、全てが一体となり総合的に発展してきたのだということを、理解しなければならない。

 

現代において、霊魂をまともに語っても許されるのは宗教分野の人間だけだと言えるだろう。人間の内面を深く掘り下げていく宗教と、人間の外部の世界をどこまでも追及していく化学は、お互いに相容れないものとされ、それぞれの理論も根本的に交わることは無いであろう。

それは至極当然であると言える。その両者を結び付ける学問が、手つかずの状態で放置され続けているのだから。

つまり宗教と科学を結び付ける学問が「霊魂をマジメに考える」ということであり、その先にある霊魂研究という学問ではないだろうか。

 

子供の頃に怖い体験をして、それを霊魂と結び付けて処理してしまった人も居るだろう。そうした場合、大人になっても霊魂についてアレルギー反応のように無条件に恐怖を感じてしまう場合も多い。

古来人間は未知のものに恐怖を感じてきた。暗闇を恐れる理由も、そこに何があるのか知ることが出来ないから、と言える。暗闇の恐怖を克服する為には、闇を明かりで照らせば良い。人間は炎を操り、電灯を作りだし、闇の向こうに何があるのか知るに至った。

このように未知なるものへの恐怖は、知識によって克服出来ることを人間は知っている。霊魂イコール恐怖の存在と捉えている人は、霊魂についての知識を得ることで、それを乗り越えることが出来る筈である。この本がその為の一助となれば幸いである。







目次

 

1 霊魂と肉体の関係

2 人間の死と霊魂

3 誕生と霊魂

4 生物が持つエネルギー

5 心霊現象と呼ばれるものについて

6 霊魂と関連がある病気

7 霊魂との対話

8 特殊なケースと霊能力

 9 あとがき







1 霊魂と肉体の関係

 

人間は霊魂と肉体の結合体

 

霊魂とは、生物の生命活動に不可欠な要素の一つである。

生きている間、肉体と結合することによって、主に意識や記憶といった重要な分野で、基幹的な役割を担う。

霊という呼称は、幽霊、心霊などの略称として用いられることも多いが、今後ここでは略称としての、霊、という名詞は用いずに説明する。

 

霊魂について

 

霊魂とはその名の通り「霊」と「魂」が結びついたものである。それぞれ役割は異なる。

 


 霊とは

 

霊とは意思を持たない純粋なエネルギー体であり、そのエネルギーにより常に震動している。その震動波長は肉体が発するエネルギーの波長に対応しており、これによりお互い強い力で結合している。自らエネルギーを生み出すことは出来ないが、肉体からエネルギーの供給を受け、それをバッテリーのように蓄えることが出来る。数グラム程度の質量を持ち、触れると粘度のある気体のような感触がある。

 


 魂とは

 

魂は「記憶」を司る「憶」と「意識」を司る「精」が結合して出来ている。この二つは対の構造となっており、非常に強く結合している。質量が非常に小さく、霊魂における魂の割合は一割にも満たない。

霊と比較すると力は弱いが、同様の波長で震動しており、霊に寄り添うような形で、共に肉体と結合している。「霊」と同様にエネルギーを震動として蓄えることも出来るが、その量は僅かしかなく、基本的に「魂」は「霊」からエネルギー供給を受けて活動している。

「精」には感覚器官のような部位が存在し、外部刺激を感じ取ることが出来る。


 

肉体とは

 

肉体とは霊魂から見れば、強力な自己防衛機能を備えた発電機や増幅器のようなものである。食事と休息を採れば、何十年間もエネルギーを発生し続けられ、また意思を形にするための手や足といった器官も持っている。

病気に耐える免疫機能や、変化する環境への順応性など、優秀な部分を挙げればキリがない。

肉体が生み出す膨大なエネルギーの一部を、霊魂が自らの内部に取り込み、霊魂の意思や記憶が、肉体を制御し司令塔のような役割を果たしていると言っても良いだろう。

肉体のどの部分に霊魂が存在しているかは、まだ定かでは無いが、脳幹から前頭葉にかけての領域が有力視されている。頭蓋の内側は人体で最も安全な部位であり、また多くの情報を処理し具体的指示を出す場合にも、脳は都合の良い場所だと言える。








2 人間の死と霊魂


 

人間の死

 

一般的に人間が死ぬということは、心臓が停止することを指す場合が多い。霊魂にとっても、心臓が停止するということは非常に大きな意味を持っている。

心臓が止まることで、各臓器への酸素供給が無くなると、体内で起こっていたほぼ全ての化学反応が消失する。同時に体温が失われていく。体温低下と共に肉体から発せられていたエネルギーが弱くなり、やがて完全に消えてしまう。


 

死亡直後から数時間

 

死後、肉体が発するエネルギーが無くなることで、霊魂と肉体を結び付けている力も消失してしまう。肉体から追い出されるような形で体外へと出された霊魂は、その内部に残されたエネルギーにより独立して行動するようになる。しばらくは外部の環境への適応や、状況の認識の為に、肉体の傍に居る場合が多い。病院などで亡くなった場合、死亡確認後にすぐ葬儀の段取りなどが行われるが、その際にも肉体の近くには、その肉体に宿っていた霊魂が存在している可能性が高い。万一、この段階で肉体が蘇生し、心臓が再び動き出したならば、霊魂は再度肉体に戻ることが出来る。



移動

 

通夜や葬儀に伴い肉体は場合によっては大きな距離を移動することになる。霊魂には移動の為の足は無いが、何かの物質に取り付いて一緒に移動したり、壁や床などを伝って移動することが出来る。質量があるので、風などに運ばれて移動することも可能で、その際は空を飛んで移動する場合もある。

 


通夜・葬儀

 

通夜や葬儀の際にも、霊魂はやはり肉体の傍に居る場合が多い。まだ意識もはっきりしており、外部の情報も知ることが出来る為、この段階で自らの死を認識する場合が多いという。葬儀が終われば肉体は火葬され、墓所があれば納骨ということになるが、これにより霊魂は戻る肉体を完全に失うことになる。

 


初七日

 

死後最初の法要である初七日の頃になると、霊魂のうち「霊」のエネルギーの弱化が目立つようになる。霊魂のエネルギーとは固有の波長を持つ震動であり、これは外部からの要因で比較的簡単に乱されてしまう。大きな音や強い風にも影響を受ける為、霊魂は暗い場所や静かな場所に移動し、これらから身を守ることが多い。それでも完全に外部の影響を絶つことは不可能だと言われる。

エネルギーの低下により、肉体の死後、共に行動してきた霊と魂の結合がついに維持出来なくなる。魂と別れた後、意思を持たないエネルギー体である霊は、風に流されたり、自らの重みで低い場所へ降りたりしながら、雨水と似たような経路で少しずつ移動を繰り返す。やがて深い穴の底や河川などに行き着き、エネルギーが尽きるのを待つと、最終的には前者は地面に吸い込まれるように、後者は海に飲み込まれるようにして、ゆっくりと消滅する。残された魂はその後、自身が持つ僅かなエネルギーだけで行動することになる。

 


四十九日

 

四十九日法要とは、死者の魂の行先が決まり、この世から旅立つ時に行うとされるが、霊魂の側から見ても、この表現は非常に的を得ていると言える。

初七日を過ぎた後、霊と別れ単独で行動していた魂のエネルギーが尽きるのが、ほぼこの四十九日の頃であるからだ。当初は意識も記憶もはっきりとしていた魂だが、エネルギーが残り少なくなっていくに伴い、移動もままならなくなり、意識と記憶も薄れていく。

この段階に至ると、死亡直後に抱えていたような心配事や未練といった気持ちも全く無くなり、穏やかな心境で自分という存在が消えていくことを、静かに待つようになるのだと言う。

 


成仏

 

最終的に「魂」は、完全にエネルギーを失い、成仏という言葉そのままに、この世から消滅していく。

 


法要について

 

通夜から始まり四十九日までの法要については、霊魂の状態に対応したものとなっており、生者と死者の両方にとって意味を持っていると言える。特に初七日までの法要は、霊魂の意識や記憶に問題が無い状態で行うことになっており、遺族が死者に対し、生前伝えられなかった言葉や事柄を伝える機会として大変有用なものと言える。

百日、また一周忌以降の法要については、死者の霊魂がこの世に存在していないこともあり、あくまで生者の為のものと考える。だが死者の霊を思い出し供養をすることで、過去を振り返り、自身の生き方を見直すことは無益とは言い難いものがある。







3 誕生と霊魂


 

人間の誕生

 

霊魂は人間の誕生にも深く関わっている。

受精卵から細胞分裂が始まり、やがて心臓が形成された段階で、その鼓動の一発目の発動スイッチを入れるのは「霊」に他ならない。胎児は元々エネルギー体である「霊」を持っていないので、源となるのは母体の「霊」である。

 


胎児の霊魂

 

意思と記憶を司る「魂」であるが、その源となる部分「魂源」は両親から受け継いだ遺伝子に刻まれた情報によって形成される。「霊」については卵子の内部に母親から分け与えられたものが宿っており、胎児の心臓を動かすエネルギーとなる。心臓が鼓動を打ち始め、胎児が生命として自立した活動を開始するに従い、胎児の肉体は固有の周波を発するようになる。そのエネルギー波長を受信し、固有波長として認識すると「魂源」が「魂」としての活動を開始する。

母親から譲り受けた「霊」は、胎児の成長と共に大きく強くなっていくが、その過程で胎児のエネルギー周波に合うように自ら変化していく。

胎児の肉体が十分に成長すると、同じ波長同士で引き合う力が強固になり、肉体と霊と魂の結びつきが安定する。誕生した後は、意識と記憶を司る「魂」が主導権を持つ。







下へと続きます。