TwitterやFacebookなどのSNSが嫌いな方が居ます。


そもそも必要としていない方は置いておいて、やや気になることを言う方が居ます。


そんな方に何故SNSが嫌いなのかと訊いてみると、他の人は充実した生活をしていたり、才能を発揮していたりするけど、自分には何も無い。また、他人と自分の格差を感じて気持ちが落ち込む、ということを理由に挙げていました。


ある方は、これを『敗者の思考』だとして否定し、何も努力していない人が、他人の表面的な部分だけを見て(裏側の努力を知らない)羨ましいと感じるのは、醜いことだ、貴方も努力するべきだ、というようなことを言います。


確かにそうした面も否定出来ないかもしれませんが、その一言で片付ける神経に納得出来ません。


この先の記事は『自分には何も無い』と感じて日々を送っている方へ向けた文章です。
少しでも心当たりのある方や、そんな人を友人に持つ方に是非読んで頂きたいと思います。









それは誰でも出来るようなことなのか?



以前、ややブラック気味な会社で働いている方から相談された際のことです。



(  ̄ー ̄)「自分が今の会社でやっている仕事は誰でも出来るようなことばかりです。他の社員はそれぞれスキルがあって自分には真似出来ません。こんな自分が他の会社に転職出来る筈がありません。だから今の仕事が辛くても、社内で浮いている気がしても、辞める訳にはいかないです」



アタクシ、これを聞いた後でこんな風に返しました。



(*´∀`*)「貴方は今、自分を卑下したつもりでしょうが、逆にとんでもなく失礼なことを口にしたことを自覚していますか?まさか会社で『私の仕事は誰でも出来るようなことばかりです』なんて言ってませんよね?」



多くの方が陥る思い込みのひとつですが、自分が出来ることは他の方も出来ると考えてしまう、というものがあります。そして同時に他の方が自分の出来ないことをやっていると、無意識に凄いと感じてしまうことも。


この方の場合、アタクシが聞く限りでは、仕事内容に関して誰でも出来ることだとは思えませんでした。アタクシ自身も苦手とする業務です。
仮に社内で同僚に対して



( ̄ー ̄)「自分の仕事なんて誰でも出来るようなことです」



なんて口にしていたとすれば、それはある意味



( ・∇・)「自分みたいなダメ人間でも簡単に出来ることなんだから、当然貴方も出来るでしょ?」



と言っているのと同じなのです。
こんなことを言われた相手は気分が悪くなるし、無礼な奴だと思ったことでしょう。
社内で浮くのも当然です。
この方に必要なものは仕事のスキルでは無かったのです。






何も持っていない人は居ない



自分が持っていないものを他人が持っていると感じることは良くあると思います。
それを才能だと感じたり、努力の賜物だと感じるかはここではあまり関係ありません。
ただ自分が持っているものを他人が持っていないことに気付ける人は少ないのです。


1日24時間。
半分寝ていたとしても12時間は起きています。
それが365日で合計4380時間。
貴方は今何歳ですか?


起きていた時間にやっていたことは何ですか?
他の方とそれが異なるのは当たり前です。
あなたしか経験していない起きている間にやっていたこと。簡単に言えばそれが貴方が持っているものです。


ゲームをしていた方は、そのゲームに関して掛けた時間分の情報をお持ちでしょう。
小説を読んでいた方は、読んだ本の冊数に応じて内容を語ることが出来ます。
スポーツしかり、創作もしかり。
食べてばかりいた方も例外ではありません。
勿論テレビばかり観ていた方も。


他人に自慢出来ないようなことであったとしても、それが貴方だけの財産なのです。







才能とは何だ



才能がある、無い、という表現はあちこちで目にしますが、それは何か特別なものだと勘違いしている方が多いです。


だからこそ



( ・ω・)「自分には才能がないから‥」



などと言って自らを卑下する人が現れます。
それは誤解です。


才能とは貴方だけの財産を他人に形にして見せた時に始めて現れるものです。
それは誰でも出来ることであって、そこに差があるとしたら隠すか見せるかだけの違いです。
見せればそれは貴方だけのものであり、見る人によっては『素晴らしい』と評価されるものかもしれません。


素晴らしい演奏の腕があっても、弾いて聞かせなければその事実に気付く人は居ません。
世界最高峰のドライバーでも運転しなければただの人にしか思われないですよね。
どんな超絶技巧の演奏も、神業のドライビングテクニックも、難とも思わない人も居れば、逆に絶賛する人も居ます。


貴方の財産が才能として評価されるかどうかは、それこそ誰にも分からない。ですが、確かにそれはそこにある


今まで生きてきた中で得た財産(遊びだって何だって構わない)が無い人が居ない以上、才能が無いという人もまた居ないのです。







若くして花開く人々



若い人の中には、自分と同年代の方が芸能界やスポーツの世界で活躍しているのを見て、才能の差を感じる余りやる気を無くす方も居られます。
若くして活躍されている方々は自分が今まで生きてきた時間をやや極端な形で過ごしている場合が多いです。


経験してきたものが財産となるならば、ある1つの事柄で一定の水準に到達するには、それなりの時間を要します。
仮にその水準まで、1日4時間で3年掛かるとするならば、1日12時間を費やすことで1年で到達します。
そして常識破りの方法で最高水準まで到達し、その時期を肉体的なピーク時期と合わせていくのです。
その結果、世界を相手に戦えるだけの財産を得て、本番で才能として発揮出来るのです。


ただし、1日12時間費やせば、他のことに使える時間などほぼ皆無。
他の分野での財産など持っていません。
貴方は彼らが全く経験していない時間を過ごし、彼らには無い財産を得ています。
生きてきた時間、つまり年齢が同じならば、財産の総量も同じ
何も恥じる必要はありませんし、やる気を無くす理由もありません。







まとめ



アタクシは昔から『器用貧乏』と言われ続けてきました。


ちょっと逸れますがこの前Fateという詩的な台詞が多いことで知られるアニメを見たのですが、そこで究極の1というフレーズが印象的だったのを覚えています。自らの武器(宝具)を限界まで使いこなしている様子を指したものです。


アタクシは本当は色々なことを「そこそこ出来ること」よりも、この究極の1が欲しかったのです。
以前はそれをある種のコンプレックスとして捉えていましたが、音楽家の菅野よう子さんの


器用貧乏も十年続ければ金の小手先になる


という言葉に勇気づけられ今に至ります。
結局のところ、1つのジャンルのみに限定された究極の1を得ても、たぶんアタクシのことですから他のことがやりたくなって仕方ない筈。
よくよく考えれば、いろいろなジャンルで一定の水準までいける方が、アタクシには都合が良いし幸せを感じるということに気付いた訳です。


自分だけの財産を他人に評価してもらう為に使うことも、自らを幸せにするために使うのも『才能の使い方』としてはどちらも正しいと思います。


自分には何も無いと悩む方は、お金を貯めているだけで使っていないのと同じ。お金は使わないならタダの紙切れなのです。
まず誰でも良いので、他人の目に触れさせてみるのはどうでしょう。


貴方の才能は自分が思うよりずっと価値のあるものなのです。