一時期、こうして文章を公開する場所を管理しているのだから『使ってはいけない言葉』というのを覚えておいた方が良いのではないか、と思っていたことがあります。
結果的に『何もしない』ということになったのですが、その理由についてちょっと書きたいと思います。



注意:こうした内容を『デリケートなこと』だと感じる方はこの先に進むことをご遠慮ください。








放送禁止用語について



テレビなどのメディアでは一般的に『放送禁止用語』と呼ばれるものです。


実は現在、その数は膨大であり、禁止の度合い(文脈が自然なら使っても良い、絶対に使用禁止、など)も様々だったりします。
こうした語句は同じ意味の別の表現に置き換える、つまり『言い換え』の処理が為されてから放送(公開)されています。


同じ意味の言葉に置き換える、ということは内容的には全く同じことを伝えている訳ですから、1工程を無駄に加えただけで、本質は変わらないということです。
そこには『その言葉によって気分を害されるかもしれない人への配慮』といったものは存在しません。だって同じ意味の別の言葉というのは、そういうことなのです。







理由を説明せずに禁止するとおかしなことになる



最近の公園では、訪れるお年寄りや幼い子供への安全に配慮してなのか、入り口に


『ローラースケート、スケートボードの使用は禁止です』


などと書かれた看板があることが多いです。
これを見て



(*・ω・)「ぶつかると危険だから、かな?」



と解釈することと



(=゚ω゚)「ローラーブレードなら禁止されてないからOKだね」



と解釈するのは大きな差があります。
放送禁止用語と、それに対する言い換え語の存在というのは、明らかに後者に該当します。


公園の例を再び出せば『安全面でローラースケートやスケートボードと同様の問題があるものについては、キックボードだろうがローラースルーアゴーゴーだろうが、ダメなものはダメ』な筈です。



(=゚ω゚)「じゃあお年寄りや子供が近くに居る場合には使用禁止って、誰にでも分かるように注意書きを作ればいいじゃん!」



公園であればそれでOKです。


ただし、放送禁止用語についてそれを行うということは全ての放送禁止用語について、それが何故使用出来ないのか、という理由をきちんと説明しなければならない訳です。



( ̄∠  ̄ )「この〇〇という言葉は・・・・・・という理由で差別的な表現や蔑称とされていますので、類似表現についても同じような意味が存在しています。ということで、これらは言い換え語による処理などを行わず、一切話題にすらしまぜん」



この説明を聞いて、知らなくても良いことを知ってしまったり、忘れたかったものを思い出してしまう人も多いでしょう。気分を害される人も居ることでしょう。
何と皮肉なことでしょう。
この説明こそが『最大規模の放送禁止行為』になってしまうのです






存在する意味が無くなる



特定の用語について、本当に『誰か』に配慮するのであれば


一切の言い換えをやめて、関連した話題については今後は触れない


といった形こそ本来の姿になります。


公園に来る全ての人が何らかの被害に遭う可能性を完全に排除するならば、もちろんローラースケートもドローンも全てダメになります。いや、走ることすら安全とは言えません。
そもそも遊具が安全だという保証が無いのです。
公園の地面が固ければ転んでケガするかもしれません。芝生なら安全かと言えば、草に足を取られて足首を捻るケースも無い訳ではないのです。
完全に安全だと言えないのであれば公園自体を閉鎖するしかありません。
長期に渡り閉鎖が続けば存在する意味も無くなるでしょう。


放送禁止用語というものを真面目に考えているのであれば、行きつく先は『メディアの存在する意味の消失』です。







何もしなくて良かったんだ



ですが現在、この『放送禁止用語』というのは依然として増え続けています。
不適切だ、という理由で言い換えもどんどん行われています。
理屈に合いません。


つまり


この『放送禁止用語』というものは



(●´ω`●)「配慮しています」



というポーズやタテマエに為に作られたものであり、実際には誰にも何にも配慮していないものだということに間違いありません。



(゚Д゚≡゚Д゚)「なにそれけしからん!」



いいえ、誰にも何にも配慮しない、ということはある意味完全に平等です。



(*゚∀゚)「あ、つまり、そういうことか!」



ということでアタクシ、誰にも何にも配慮しない、つまり『何もしない』ということが重要なんだと気付けて良かったなーと思っています。









まとめ



たまにこのブログでも洒落で伏せ字を使ったりしていますが、特別な意図は全然ありません。


メディアに対する『配慮せよ!』の圧力は、言葉狩り、だと言って非難されることもありますが、日本語というのは物凄くて、言い換え表現の10や20は簡単に作れます。狩り尽くされることはありません。


こうしたいかにもポーズ、あるいはタテマエとしか思えない仕組みをずっと維持してきているというのは、ある意味非常に日本らしいなあと感じたりします。


ここで取り上げたものとは別に『差別行為』については別の記事にまとめてありますのでご興味のある方はこちらをご覧ください。


差別は無くならないのか




※今回の記事の内容に関して特定の個人や団体などを否定する意図は全く御座いませんので誤解無きようお願いいたします。