先日ある方から



(=゚ω゚)「うちの息子、春から社会人なんだけど食べ物の好き嫌いが凄く多くて会社の食堂で食べられるものがすごく限定されちゃうみたいなのよ。本人も心配し始めてるみたいだし、好き嫌いって大人になってからも克服できるのかしら?何か良い方法無いですかね」


という相談をされました。


その際に話したことが割と面白かったということなので、今回は食べ物の好き嫌いに関する話題です。














食べ物の好き嫌い



飽食の時代と呼ばれて久しいですが、既に飽食という概念すらも薄れてしまうほど、我々の生活圏内にはありとあらゆる食べ物が存在しています。


先日我が家に贈り物のマグロが届きまして、それが見事な中トロ。
娘たちは「中トロかあ・・赤身の方が好きだなー」などと言っていました。
じゃあ大人だけで堪能させていただきましょう(喜)と一度は思ったのですが・・



(*゚∀゚)「ほほー」



アタクシが見る限りではこのレベルの中トロはそんなに簡単に食べれるモノじゃない感じがしたので、刺身や炙りなどバリエーションを付けて子供達にも食べさせてみたところ、1キロ以上あったマグロが瞬時に食卓から消えました。



(´▽`)「中トロ一番好きになったかも、今度から中トロ優先で食べることにしよう(やめて」



同じマグロでも食べ方や調理方法に変化を付けると全然違った印象が生まれたりします。
その中に今までのイメージを覆す何かがある可能性というのは割と多いのかもしれません。



そういえば以前どこかで書きましたが・・



唐揚げが大好きなアタクシ。
もちろんKFCのフライドチキンも好きです。
ただお恥ずかしい話、どうも骨のある料理を食べるのが苦手で、フライドチキンの場合も衣の付いた第一装甲とその下のThis is肉という第二装甲は難なく突破出来るのですが、骨と色の濃い肉で構成された第三装甲を前にすると途方に暮れてしまいます。



(  ̄ー ̄)「もう、いいかな」



やがて食欲も無くなりごちそうさまの流れ。


ただ


最初に見た時は狂気の沙汰かと思いましたが、あの鳥ナンコツについてはかなり好きで、焼き鳥屋に行くと必ず注文します。
何がきっかけで鳥の骨だけを口にしたのかは(たぶん酔っていたから)覚えていません。



似たような例(?)で言えば食パンの『みみ』
焼くと硬くなる茶色の縁です。
あれも大昔はあまり好きでは無く、出来れば食べずに残してしまいたい感じでした。
だってサンドイッチには付いてないじゃない?
それってつまり、みんなあの部分は要らないって思っている証拠じゃないですか。



(*゚∀゚)「別に言うほど硬くはないぞ、味も変わんないし」



ただ、あの『みみ』の部分。
ある時母親がどこで貰ってきたのか知りませんが大量のパンのみみを袋に満載にして帰ってきたことがありまして、それをおもむろにフライパンで(バターで)炒めだし、最後にグラニュー糖やはちみつを掛けて食卓でむしゃむしゃ食べ始めたことがありました。



(*´∇`*)「安いし美味しいし最高だわー」



あまりに美味そうだったので隣で一緒に食べ始めたアタクシ。
字面でもだいたい伝わるかと思いますが、これ、クッソ美味いです


これでパンの耳が大好きになったアタクシです。


こうして改めて考えてみると、食べ物の好き嫌い(身体が受け付けない、といったものは除外)というものの大半は


その食べ物の美味しさや味わい方を理解出来ていない


ことから生まれているように思えます。










嫌いになる瞬間とその後の印象



仮にアタクシがハンバーグが好きだったとします。
その同じ皿に『アタクシが生まれてから一度も食べたことがないジャガイモという野菜』が載っていたとします。
ジャガイモはただ茹でただけで、味の無い状態。ハンバーグのソースを付けて食べることを前提として付け合わせとして出て来たわけです。


ただし運悪くジャガイモはボソボソであり、ソースで味が付くより前にハンバーグから出て来た肉汁でビショビショになってしまっていました。肉汁は肉の旨味が溶け出た、というより単に脂っぽい汁でした。


初めてジャガイモを食べるアタクシはその脂っぽい汁がたっぷり染み込んで味の薄いボソボソを頬張りますが、正直『不味い』と感じます。


アタクシの中ではこのネガティブなイメージを元にして今後のジャガイモに対しての行動や印象が決められてしまうことになります。
こうした心理をアンカリング効果と呼びます。


以降は『ジャガイモ』という存在を目にしたりワードを耳にするだけで、
それがフライドポテトだろうがポテトサラダであろうが、過去の経験が紐づけられてしまい『ジャガイモは美味しくないから食べたくない』という感情や行動に現れてしまうことになります。

ここには記憶と経験が結び付く
ことで物事を忘れ難くなるエピソード記憶の効果も加わりますので


ジャガイモは不味い


というイメージはどんどん強固なものとして残っていってしまいます。
一度こうして固定されてしまうと、このイメージを肯定する情報のみを受け入れる体制が確立されてしまいます。
ジャガイモは不味い、ジャガイモ
嫌い、という情報のみを選別
して受け入れ、他をシャットダウンしてしまうのです。


これは確証バイアス初頭効果という心理です。


いくら周囲の人から『ジャガイモは美味しいよ』と言われても、他の調理法では全然イメージが変わるといった話を聞いても信じられなくなります。











克服できるのか?



前述のような重複した心理効果によって生み出され、心に深く根付いた『何かが嫌いだ』というイメージはそんな簡単に克服出来るものなのでしょうか?



(*゚∀゚)「無理じゃね?」



まあ、無理でしょうね。



(*゚∀゚)「え・・そういうオチ?」



自分に打ち勝とう!
何でも食べれる人になりたい!



このように思うことが悪いとは思いませんが、そんな心境で『嫌いな食べ物』を繰り返し口に入れるというのは、結果的に好き嫌いを克服することに繋がったとしても、アタクシはあまりオススメしません。




嫌いな食べ物がある、それ、別にいいんじゃないでしょうか











克服する方法は皆無なのか?



冒頭の相談を突き放すような
感じで終わらせるのはさすがに忍びないので、アタクシが考える嫌いな食べ物を克服するのに効果的と思える方法を挙げてみたいと思います。



実は人間には


罰への欲求


と呼ばれる実に被虐性欲的なものがあると言われています。
これは簡単に言えば



(*・ω・)「最近彼女も出来たし仕事もうまくいってるし良いことばかりだな・・何か悪いことが起こりそうな気がするよ」



というもの。
科学的に言って良いことが続くと悪いことが起こるなんてことはあり得ないのです。
つまり、何か悪いことが起きそう、というものは自分自身から生まれた根拠の無いものです。
そればかりか、これだけ良いことが起こったのだから多少悪いことが起こっても甘んじて受け入れなきゃいけないという変な義務感まで生まれています。


嫌いな食べ物の克服には、この罰への欲求』をうまく利用することが有効です。



(。・ω・)「他の人は好き嫌いなく何でも食べているのに自分は好きなものだけ選んで食べてばかりだ・・」



このように考えることで、嫌いな食べ物を口にするということをある程度仕方ないことだと思い込ませることが大事です。





この後がさらに大事なのですが、それは、こうして嫌いな物を食べる際に、その食べ物が好きだという人に頼んで、その食材が最高に美味しく味わえる調理法にて食べてみることです。
うまくいけば簡単に克服出来る可能性もあります。


というか逆にこれでダメなら諦めて良いと思います。










まとめ



日本にも食べ物の無い時代がありましたが、その時は限られた食材で必要な栄養素を是が非でも賄わなくてはなりませんでした。
Aという栄養素がΣという食材でしか採れないならば、Σという食材を必ず食べなければなりません。



(*´∇`*)「好き嫌いはダメよー、好き嫌いしたら大きくなれませんよ」



だからこそ、母親はこのように言う必要があったのです。
好き嫌いしたら大きくなれない、という言葉の真の意味を『栄養不足による免疫力低下が深刻となった結果、大きな病気を患った際に命を落とす可能性もある。つまり成人前に死んでしまう確率が上がる』ととれば、割と大事なことを言っているのはご理解いただけるかと思います。
やんわりと恐ろしいことを言っているのです。


ただ


この考え方を現代にも適応させるのは、それはそれで如何なものかとアタクシは思います。
これだけ栄養学が進歩すれば、必要な栄養素を別の食べ物から採る方法は見つかります。
その食べ物が入手困難だというケースは、現代においてはあまり考えられないでしょう。


むしろ


好きだと感じる食べ物だけで、必要な栄養素を補える食事が可能になったことを素直に喜ぶべきで、わざわざ嫌いな食べ物を栄養素摂取の為に選択することに意味は無いと思います。
毎回の食事を



(☆゚∀゚)「わーい、これ大好物ーっ!」



と喜んで食べることの方が食事をする人の健康に繋がると思いますし、何より料理を作る側の人間も幸せな筈です。突き詰めて言えば食材となった動物や植物への感謝や、最近話題になったりする食育の観点からも理想的なのではないでしょうか。