シャンプーやトリートメントで有名なパンテーンが『頭髪についての校則 』について問題提起をしていました。
それについてネットで様々な意見が飛び交っていて、アタクシも知らなかったことがいろいろとありました。




意見1

今多くの高校では、髪色が黒では無かったり、真っすぐでは無い生徒に対して自毛(手を入れていない元々の髪の毛)証明書というものの提出を求めているのだそうです。
それは髪の毛を染めていたり、パーマを掛けている生徒と、元々そうした髪質をもった生徒を分けて指導する為のものだそうです。
自毛なのに校則違反を疑われ、文句を言ったら証明書を出せと言われ、酷く傷ついたという声がありました。


意見2

また、学校によっては髪の毛の色は黒以外は認められておらず、元々茶色だったり赤い髪の生徒は黒に染めることを余儀なくされるのだそうです。くせ毛の生徒もパーマと疑われないように直毛矯正を行うようです。
自分の個性を否定されたようで悲しくなったそうです。


意見3

髪の毛に関する校則が今の時代に合っていないという意見もあり、何故髪型や色まで細かく指定されなければいけないんだ?学校は教育の場だからオシャレするなと言うのなら、教師にとっても同じじゃないか!教師の派手な化粧や茶髪は認められるのに生徒はダメだというのはおかしい!なんて声も聞かれました。





(*゚∀゚)「アタクシの学生の頃と全く変わっていないのが凄いね」







宗教的な価値観からの影響



こうした法律では決められていないのに守らなければいけない、という部類の決まりごとは他にも沢山存在していますが、その背景にあるものは村社会の暗黙の了解のようなものだったり、宗教的な価値観だったりします。
頭髪に関して言うならば、日本には


『何かに一生懸命に打ち込んでいる時には、髪型を気にしている時間は無い』
『尊い行いをする人はオシャレとは無縁な質素な見た目をしている』



という考え方が根深いように思えます。


この二つは何(誰)のことを指しているか分かりますか?


そうです。仏教の開祖『釈迦』です。


釈迦の髪型は仏像として残っているものでも何種類かありますが、その中でコブコブのパンチパーマ状態のものがあります。これは一度髪を剃った後、少しずつ髪が伸びてきて、それがくせ毛だったので小さな渦巻がたくさん出来た、というのを表現したものです。
本来であれば『ちゃんと剃り直そうよ』とツッコミたくなるところですが、そんなことより大事なこと(仏の教えを説く)があって、そのまんまになったのです。
いわば少々だらしない髪型が彼の功績の証明にもなったわけですね。


それから釈迦の纏っていた服(布)に関しては、もうこれはオシャレとは程遠いものです。
着飾って自分を良く見せたいとか、高価なものを身に着けたいというのは煩悩なのだと思います。
煩悩は悟りを開く為には障害となるものです。
仏の教えを説いたり実践していく上ではオシャレ=悪という訳です。
入滅の前に釈迦の身体は黄金色に輝いた、という話も残っています。身に着けるものでは無く、自分自身を磨くことで『裸でも黄金と同じ』という境地に至る訳です。



( ・ω・)「入滅というのは一般的には亡くなるということね」



日本の宗教と言えば神道より仏教(国教にはなっていませんが)が一般的ですね。あちこちにお寺がありますし。皆さんの家のお墓というのもどこかのお寺にあるのではないかと思います。
そうした関係上、仏教の開祖である釈迦の行いは、長い間日本人の価値観や道徳観のお手本として語り継がれてきたのだと思います。



( ・∀・)「ほほー、なるほど」







何故変えられないの?



と、まあいろいろ書いてきましたが全部口からでまかせ。



(* ̄∇ ̄)「‥‥‥」



学校の校則として日本と似ているのはイギリスだそうです。似ている背景に何があるのかは良くわかりません。
ただ国が同じでも学校により差異が大きいようです。アニメのコスプレで登校しても問題無いところもあるのだとか。その他海外には奇想天外な校則もありますが、その校則が出来た理由はちゃんとあって、聞くと納得できるものばかり。


日本の高校の校則が割と厳しいとするならば、それは過去にその校則が必要だと思わせるような出来事があり、かつ、その後生徒側からそれを撤回させる動きが出なかったか、出ても教師や保護者がそれを妥当だと思うところまで至らなかった、ということだと思います。


校則に関しての見直し要求は生徒会からも出せる筈。何故なら生徒に自治を勉強させる意味で存在しているのが生徒会だから。
また、生徒指導の教師1人の意見で新たな校則が出来ることもあり得ません。その上司の承認が必要だからです。
仮に問題がある教師が居ても、保護者からの正当な指摘があれば、学校は動かざるを得ません。


生徒だけでどうにもならないなら、大人を巻き込むこと。本当に今を変えたいなら、ちゃんと頭を使うしかありません。


ただ


不思議なのは、今教師をしている人達の考え方。
仮に学生時代に理不尽(と思える)校則に嫌気がさしていたのなら、誰かがそれを変えようとするのではありませんか?
校長先生クラスですら、若い時にそうした厳しい校則に腹がたった、なんて思い出はあるのじゃないかと思うんです。


でも教師側から校則の緩和について言及されたケースは聞いたことがありません。


理由として考えられるのは


『生徒の立場では迷惑だったが、卒業してみたら考え方が変わった』
『そもそも校則なんてどうでも良い』


のどちらか。
もしくはどちらも。


これは教師だけでなく、保護者の考え方にも当てはまるのかもしれません。



( ・∀・)「卒業したら別にどうでもいいわ。もう自由だし。校則違反で怒られたことも思い出だしね」



まさにこれ。










校則を変えたいなら



校則を変えたいならば、最も効果的に教師や保護者に訴える方法や、変えざるを得ない空気や圧力の作り方を学校のスタイルに合わせて考えるしかありません。
その為にはそれについて学ぶ必要があります。
そこにたどり着くまで頑張ってみて下さい。


大人のアタクシにはそれくらいしか言えません。


あと冒頭の意見。


1はそもそも普通の生徒を校則違反扱いしない為の苦肉の策のように思えます。
2は、1を拒否した生徒が一定数を超えた際に生まれる類いのもの。
3についてはどさくさ紛れに出てきた単なるワガママ。


全て聞くに耐えない意見以下のガヤ
もう少しまともな意見を言えないのでしょうか?情けない。これでは大人は動かない


そしてこの話題もすぐに飽きられるのでしょう。












まとめ



ルールで決まっているから、その抜け穴を探す。
それがマナー違反だとしても罰則が無いなら



( ・ω・)「は?別に法律違反じゃないし。文句あんの?」



という論法となっていくのです。


本当に個人的な意見を言ってしまうと、校則のようなルールを厳しく守らせることよりも、マナーの大切さを解く方に学校側はシフトして欲しいと思います。