大昔は、特定の思想や考え方を封じ込める為に、それらを記した書物などを集めて焼き捨てたりしたこともあったようです。
アタクシの本棚の中は、時代が時代ならもしかしたら丸ごと焼かれていたかもしれませんw
( ≧∀≦)「断捨離かな?」
整理して空きスペースを作ってただけ。
そういえばこの前父から「もう読まないからあげる」と貰った本が、自宅の本棚に既にあって笑いました。
これは良いけどアレはダメ
ある一定の年齢以上の方が子供の頃に一度は言われたことがあるであろう
「マンガやテレビを観たりゲームをするよりも本を読みなさい」
というセリフ。
まだ心が綺麗だった頃のアタクシは、親のこの言葉を忠実に守っていたのですが、恐らく当時読んでいた本は、親から見れば読んで欲しくはない本だったのでしょう。
(*゚∀゚)「こんなオトナになったよー!!!」
教育に拘りのある親が言うようなセリフで、何となく間違ってはいないけど子供としては納得できない系の内容ではありますが、結局のところ何の意味も無いものだったことがアタクシの今までの人生をもって証明されたわけです。
娯楽に貴賤があるわけがない!
学校の時に国語で習ったであろう『源氏物語』『徒然草』『枕草子』といった古典文学作品。
教科書にも載っているので、自分から読もうなどと考える人も少ないと思います。
タイトルを聞くだけで受験を思い出して頭が痛くなる人も居るでしょうね。
ですが
これらが書かれた時代は、こうした作品は単なる娯楽だったのです。
教養のある女子がニヤニヤしながら書いた同人誌的な作品(大量に印刷して販売する商業誌的な展開を想定していなかった、という意味で)が
( ̄∠  ̄ )「あれ、面白いらしいぜ」
(*゚∀゚)「マジでー?アタクシも読みたい!」
的な評判を呼んだものが、たまたま割とちゃんとした状態で残っていた、というだけのものなのです。
むしろ、作者達がもし今の状態(教科書に載っていて子供達がみんな読んでいる)を知れば・・
(; ̄Д ̄)「頼むからやめてよー!勘弁してーーいっそ〇ろしてーーーーー!!」
となってもおかしくないレベルかもしれません。
作者の方が凄いことは無条件で認めます。
ただ、作品の内容や物語が高尚なものであるかのように語られることについては甚だ疑問です。
近代文学も同じ。
映画も同じ。
古典が面白いと感じることと、古典だからレベルが高いと思うことは全く違います。
音楽も同様です。
某光速の豚ロックギタリストがこんなことを言っていました。
(  ̄ー ̄ )「バッハは最高にクレイジーでヘヴィだ。あの時代に存在した楽器でロックをやろうとしたら、ああなるさ(要約)」
モーツァルトもベートーベンも、ビートルズもジューダスプリーストもメタリカも、時代が違うだけでやっていることに上下は無いんです。
文学、美術、音楽。
これはは全て娯楽。
目的は同じものであるが故に、貴賤はありません。
生きていく為に絶対必要なものではないですが、豊かに幸せに生きていこうと思うなら、真っ先に求めるものです。
だからこそ簡単には測ることの出来ない価値がそこには存在するのです。
( ・∀・)「で?」
( ・∀・)「で?」
子供だけではなく、知人や見知らぬ人に対してでも、○○は良いけど○○はレベルが低いからダメだ、というようなことは言うべきではありません。
娯楽の価値は簡単には推し測れないもの。
貴方がその価値を正しく捉えている保証はどこにも無いし、そのようなことを言って良い権利も勿論無いのですから。
まとめ
父が若い頃は映画ひとつ取っても
( ̄ー ̄)「あれは不良が観る映画だから、こっちを観なさい」
というような、大人からの変なアドバイスがあったそうです。故石原裕次郎さんの映画なんかはまさに『観てはならない映画』の筆頭だったそうです。
日本を代表する俳優でもある高倉健さんも「あの人の映画は暴力的な言葉が出てくるから観てはいけない」なんて言われたこともあったのだそう。
まあ、それを鵜呑みにする人が多かったら、あのような多くの人に愛されるスターが誕生したとも思えませんから、結局誰も大人の言うことを聞かなかったんでしょうねw
娯楽に関してはこのように、誰の意見もあてにはならないものです。
ということで、自分が好きだと思うものを分け隔て無く愛して楽しんでいくことをオススメします。
それが人生を豊かに幸せに生きるということですから。
注意:本文中に、古典作品やその作者の方を軽んじるような発言があったと感じる方も居るかもしれませんが、前後を読んで頂ければ、それらは誤解だとご理解頂けると思います。また、ちらりと登場したギタリストについても同様です。
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