連休中の無更新期間に記事を書き貯めた筈なのに、気付いたらストックゼロ。
こうして見えない筈の時間の経過を目で確認出来るのは面白いですね。


GW前までは新生活を意識して人と人とのコミュニケーションについての記事を多く書いてきました。
社会性の中でしか生きられない人間にとって、如何にコミュニケーションが大事かはご理解頂けたかもしれませんが、そんな昔の記事の内容なんて覚えている筈がないですよね。
アタクシも何を書いたか忘れてますから。




連休中、何処かへ遊びに行った方は多いかもしれませんが



( TДT)「ずっと独りで行動していたよ」



という人も居る筈です。
そうした人は自ら『非リア充』宣言をしていたりしますが、もし仮に本気でそう思っているなら考え方を変えた方が良いと思います。










独りの時間を有効に過ごせない人は惨め



40歳を過ぎた頃からアタクシの友人達の行動に変化が出てきました。
何かあれば(海に行こう、とか)周囲に声を掛けて友人を集めていた人が、誰にも知らせずに何処かへ出かけて、特別何かする様子も無く帰ってきて、後日



( ≧∀≦)「この前○○に行ってきたけど楽しかった」



みたいな報告をするようになってきたのです。
何故周囲に声を掛けないのかと言えば、それぞれ家庭があるし、スケジュールを合わせたり時間を作るのが難しい、という理由はあるのですが



(´・ω・)y-~「独りでも充分楽しめることに気付いた」



というのが最も大きな理由とのこと。
独りで行動することで味わえる


父親でもない、夫でもない、さらに言えば課長でも店長でもない、一人の男に戻れる、という感覚


が心や身体のリフレッシュや、アイデアを思い付いたり、悩み事の解決法を探ったりするのに、良い影響を与えてくれるのです。


社会性のある生き物とは言えど、個人というものはあくまでも個。
精神的な安定や、日々の生活でのアシストとしてコミュニケーションは大事なのですが、何かを決断しなければならない局面において、それを行うのはあくまでも自分自身
誰に相談したところで、自分にとっての正解は得られないし、混乱するだけです。


時に自らを孤独にして、決断への準備と、その結果に対する責任を負う覚悟を決められない大人は、いつまでも子供であり、やや惨めに見えます。










非リア充ではない



みんなでワイワイやるのが好き、ということと、独りでは何もする気が起きない、というのは決定的に差があります。


いい歳をして群れなければ何も出来ないようなオトナは、何かを決断しなければいけない場合においても他人の意見が無くては決められず、もし決めたとしても、そのことで悪い影響が出たら他人に責任を押し付けます。
その結果、周囲から人が離れていき、ついには誰も居なくなります。


一見すると逆に見えるかもしれませんが


大人のリア充とは時に自らを孤独に晒すことが出来る状態を指します。
大人の非リア充とは、群れているだけで何も有益なものを得られない状態から離れることが出来ないことを指します。


リアル(現実)の充実という意味で考えれば、どちらがより幸せに繋がるかはお分かりですね。


ここをお読みになられているということは、既に成人している大人の方だとお見受け致します。
学生時代の誤った『リア充』像をまだ引きずっているのであれば、早々に意識を変えるべきだと思いますよ。













まとめ



日頃から『独り〇〇』というものが偏見の眼差しで見られていることに疑問を感じている方は居るのではないかと思います。



( ̄∠  ̄ )「興味あっても、ぼっちだと思われそうで躊躇しちゃう・・」



個人的な感想ですが、独り〇〇というのを楽しめている人は、普段は孤独では無かったりすることが多いように思えますし、仕事やプライベートも充実している場合も多そうです。
いつからこんな偏見が定着してしまったのか分かりませんが、独りで何かを楽しんでいる⇒非リア充という感覚はそろそろ誤りだと気付く時なのではないでしょうか。