注意:最後に大事なまとめが御座います。やや気分を害するような表現があるかと思いますが、少々辛抱して下さいませ
海外から日本に旅行に来た方が
川 ̄_ゝ ̄)「日本人がヌードル(たぶんラーメンや蕎麦)を食べる時に音を立てているのが嫌だ」
と言っているのをピックアップして放送したテレビ番組があったのかもしれませんが、それに対して「日本の文化にケチつけるな」とか「日本に来るな」とかいう意見が多数・・というのを何かで見ました。
やや冷静な方は「訪日外国人が年間3000万人という時代でたった一人の外国人旅行者の意見を取り上げる意味が全くわからない」とも言っていました。
ただ、マスメディアがこうした無茶なことをするのには、一応もっともらしい理由があるようです。
偏った流れ
数年前から急に目立つようになった『無条件日本称賛番組』ですが、日本の知られざる良い文化や観光名所を国内外問わず発信しよう、というのは別に変なことでも何でもないのですが、外国の方をとっ捕まえて
(*゚▽゚*)「見て下さい!これ日本で生まれたモノなんですよ!どうですかすごいでしょ?ねえあなたはどう思いますか?」
という好意的リアクションのカツアゲは、あまりに品が無いし、仮に逆の立場でこんなインタビューをされたら非常に気持ち悪いと感じるのではないかと思います。
偏った流れ
数年前から急に目立つようになった『無条件日本称賛番組』ですが、日本の知られざる良い文化や観光名所を国内外問わず発信しよう、というのは別に変なことでも何でもないのですが、外国の方をとっ捕まえて
(*゚▽゚*)「見て下さい!これ日本で生まれたモノなんですよ!どうですかすごいでしょ?ねえあなたはどう思いますか?」
という好意的リアクションのカツアゲは、あまりに品が無いし、仮に逆の立場でこんなインタビューをされたら非常に気持ち悪いと感じるのではないかと思います。
さらに気持ち悪いのは、こうした番組を見ても何とも思わない、もしくは面白い、気分が良いと感じる人が割と多いという事実。
いつかは逆転する
そもそもこうした番組は以前は全く無くて、むしろ『海外の凄いところを勉強しよう』『日本はもっとがんばろう』的なものばかりでした。
そうした流れが
( ´_ゝ`)「ちょっと自虐的過ぎるんじゃない?日本人ってことにもっと誇りをもっていいんじゃない?日本にも良いところ沢山あるじゃん!」
という考えを持つ人達により一気にひっくり返されたという訳です。
何と言えば良いのか分かりませんが、要するにそうした自虐的な雰囲気に飽き飽きした方や、鬱憤が溜まっていた人たちが結構多かったのでしょう。あとはネタ的な考え方として、それ系の企画やアイデアが行くところまで行ってしまい、行き止まりになったので折り返した、という感じでしょうか。
どちらにしても、偏った方向へと流れが出来るということは、それに反対する意見を持った人達の反発を強めてしまうということ。
それこそがシーソー、つまりは社会が壊れないようにする為には必要だと信じられているからでしょう。
つまり自分で作ってきた流れに偏りがあることを自覚しているからこそ、無茶をしてでも反対意見を流さねばならない訳です。
どうでしたか?
いつかは逆転する
そもそもこうした番組は以前は全く無くて、むしろ『海外の凄いところを勉強しよう』『日本はもっとがんばろう』的なものばかりでした。
そうした流れが
( ´_ゝ`)「ちょっと自虐的過ぎるんじゃない?日本人ってことにもっと誇りをもっていいんじゃない?日本にも良いところ沢山あるじゃん!」
という考えを持つ人達により一気にひっくり返されたという訳です。
何と言えば良いのか分かりませんが、要するにそうした自虐的な雰囲気に飽き飽きした方や、鬱憤が溜まっていた人たちが結構多かったのでしょう。あとはネタ的な考え方として、それ系の企画やアイデアが行くところまで行ってしまい、行き止まりになったので折り返した、という感じでしょうか。
どちらにしても、偏った方向へと流れが出来るということは、それに反対する意見を持った人達の反発を強めてしまうということ。
その反発は、今の流れがどん詰まりまで行った際に、その流れを真逆側のどん詰まりにまで弾き返す程の強力な反発力を秘めています。
テレビ番組の企画や、雑誌の記事の内容程度ならば、このシーソーゲームがいくら行われようとも知ったこっちゃありませんが、人々の主義思想的なものにも影響があるとすれば、これは楽観的に捉えてばかりはいられません。
偏った流れと反対意見
世間の空気、雰囲気、その他もろもろに偏った流れが出来た際には、その流れが加速しないように、また反発意見が力を溜め込み過ぎないようにする必要が生まれます。
シーソーが片側に大きく傾いて、そのまま地面にガツンと激突。その反動で今度は反対側にガーン!
こんなことをしていてはシーソーそのものが壊れてしまいますね。
要するにこれと同じことを社会に起こさない為に必要なのは、主となっている流れに反する別の方向性を持った流れです。
簡単に言えば、反対意見です。
( ・∀・)「反対意見が無かったらどうするの?」
無ければ作る。
どんな些細な意見でもすくいあげて、それらしく見せる。何なら捏造もする。
何故そこまでするのかと言えば、それは『反対意見』を流すこと自体が目的であるからです。
その真偽は関係ありません。
それこそがシーソー、つまりは社会が壊れないようにする為には必要だと信じられているからでしょう。
つまり自分で作ってきた流れに偏りがあることを自覚しているからこそ、無茶をしてでも反対意見を流さねばならない訳です。
テレビや雑誌、新聞等で少数意見を不自然な形で取り上げるようになったら、それは全体の流れに偏りがあることの何よりの証拠なのです。
まとめ
まとめ
お疲れ様です。
今回はマスコミを敵視し『真実を皆さんにお知らせしたいマン』風な切り口で記事を書いてみました。
どうでしたか?
厚かましいでしょうw
と言いますか、そろそろVAPEのことを書けよ、と自分でも思いますw
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