最近また注目されているキアヌリーブスさん。
恐らくマトリックス4(仮)の制作についての関連だと思われます。




個人的にはアタクシが唯一尊敬している現役ハリウッド俳優の彼が注目を集め、その生き方や過去の言動などが見直され、広く紹介されることを嬉しく思いますし、良い機会だと思っています。


ネットで『キアヌリーブス 名言』などで検索すればいくらでも読めるので割愛しますが、決して順風満帆では無かった半生、そして悲しいエピソードを幾つも経験した上で、誰よりも前向きに人生を楽しんでいる姿は大げさでは無く奇跡的だとアタクシは思っています。


・毎日を人生最期の日のように大切に過ごす
・背伸びをしない
・好きなことをする


辛い経験は自分を強くする、という彼の主張はキアヌリーブス自身がそれを体現することで、聴く人に何にも勝る説得力を与えています。


人間として心が圧倒的に強い。


彼は周囲の人に優しいことでも知られていますが、それは彼の心の強さからではないかと思っています。
良く『強さは愛だ』と銀色の宇宙刑事の歌でも言っていますが、まさしくその通りだと思います。












愛と恋



話は変わって先日‥‥



( 〃▽〃)「愛と恋はどう違うのでしょうか?」



という夏休み子供相談室のような相談(質問)をされました。
恋愛という言葉にはその両方が含まれているので、どちらも心情よりも状態を表しているのかなと思います。こうした相談をするということは、きっと好きな人が居て付き合い始めの頃なのでしょう。一番楽しい時期ですね。アタクシにもそんな時期があったのでしょうが思い出せないくらい昔です。


一般的には『』は相手に対して○○して欲しいという自身の欲求が大きな状態だと言われます。
そして『』は見返りを求めず相手の欲求を満たしたいという状態。


無償の愛なんて言葉はこれを表したものですね。



(*´∀`*)「見返りを求めないなんて美しいね」



アタクシは少し違う意見です。
これは見返りを求めないで相手の欲求(自分と幸せになりたいというもの=だと思い込んでいる)を満たしたいという、あくまでも個人的な欲求ではないかと思います。


どちらも出発点は自身の欲求、なのではないかと。



( ;´・ω・`)「何かぶち壊すね‥」



ですが人は何故そうした『』を美しいと感じるのか?
それは(方法にもよりますが)、例えそれがその人の欲求から生まれた行動であったとしても、見返りを求めず誰かに寄り添い尽くすということが、簡単では無いということ。そして他人からそれを見たとき純粋に美しいと感じるからでしょう。


仏教の教えの中には、この世の全ては儚いもので、人を愛したり憎んだり、お金や物に執着するのは煩悩である。死ねば全て無くなるものだから、そうした執着を捨てることが大事だ、とも取れるものがあります。


※あくまでアタクシが学んだものから


決して仏教を否定しませんが、こうした見方をすれば『』ですら煩悩なのです。実際に子煩悩なんて言葉もありますね。


自分の配偶者やパートナー以外でも、前述の無償の愛で相手の欲求を満たそう、幸せにしようという行為は果たして無条件に正しいものだと言えるのか?



( ・ω・)「ぬう‥」



ここでその答えとして示されるのが、キアヌリーブスさんの言葉。


・毎日を人生最期の日のように大切に過ごす
・背伸びをしない
・好きなことをする


そうです。
その行為が誰にも迷惑を掛けず、見返りも求めず、相手の幸せを願ったものであるならば、貴方の欲求に従って好きなようにすれば良いのです。


明日人生が終わっても悔いの無いように。



( ・∀・)「‥‥(何の話をしていたんでしたっけ)」



恋とか愛とかどう違うの?という疑問がどうでもよくなる話でした。