注意:今回の記事は読む方にとっては非常に不愉快な気持ちになる恐れがあります。個人的な見解に対して反論をしなければ気持ちが収まらない、というタイプの方は読むのをご遠慮下さい。また、記事及び私には気分を害する意図が無いこともここに明記しておきます。




まあ予想した通りですが、オリンピックとパラリンピックを同じレベルで推していこう、という当初の目論見は何処かに行ってしまっています。


日本は島国で、太古からムラ社会が幅をきかせている関係なのか、どうも何に対しても枠を嵌めた考え方が一般的になっているように思えます。


同郷人、同じ出身校、同じ会社、同じ世代。
何に対してもグループを作り、そこに入れたり、また自分から入ったり。


良い部分もあると思いますが、そのグループの境界線を単なるラインでは無く、壁にしてしまう考え方については、アタクシやや不満を感じることが多いです。










障害を持った方とどう付き合うか、ということ



昔から仕事やプライベートで、軽度の障害を持った方とよくご一緒します。
手や脚、または言語などにハンデを持った人というのは探せばそれこそかなりの数が居て、普通の方と同様に働いていたりします。
ご本人からすると周囲からの目や言葉がとても気になったり、能力的な面で健常者との差が出ないように、努力や苦労をなさっている場合がほとんどです。


かなり前のことですが、そうした方を交えて何人かで食事に行った際(どうしようもなくくだらないことですが)どちらがお酒を出すお店の女の子にモテるか、みたいな話になり、アタクシが障害を持った方に対して



( ・∀・)「アタクシの方が絶対モテる!○○さんはちょっと良い学校出てるからって、俺頭良いよ、的な空気出すでしょ?アタクシそういうの無いもんね!」



的な感じに争っていた訳です。
その方がトイレに立った時に同席していた別の方から



(  ̄ー ̄)「○○さんは障害があるんだから、mi-yanがそんな風に言ったらダメだろ」



と怒られてしまいました。



( ・∀・)「障害があるとか無いとか関係無しに男として負けたく無い!と思うのは変なの?」



と答えると



(  ̄ー ̄)「同じ土俵で戦うことがおかしな話だ」



とのこと。
女の子にモテるかどうか、という話に他に土俵があるとは思えなかったのと、○○さんには障害があってもアタクシから見れば魅力的な大人の男であり、ライバルだった訳です。


言葉を飾ったり誤魔化したりせずに言えば、○○さんは障害者というグループの中には入っているけど、同じ男というグループの中にも同時に居るのです。
障害者と健常者は隔絶された別の枠の中に居て、全ては別の次元で語られなくてはいけない、という考え方はアタクシにとっては、全く理解が出来ないことでした。



( ・∀・)「じゃあアタクシが今日の飲み会の帰りに事故に遭って脚一本吹っ飛んだら、アタクシも明日から○○さんと同じですね」



言い方も悪かったのですが、その日の食事会は最悪の雰囲気になってしまいました。
アタクシも若かったのですが、障害を持った方に対しては『別のグループに属する存在』としてしか接することが出来ない人というのは、非常に多く存在するのです。


結局のところ自分が障害を持った時のことを想像出来ない人が綺麗事を口にしたところで、そこには何の意味もありません。
そして同時に、障害を持った方も、それを想像出来ないならば両者の関係は一向に発展することはないでしょう。









パラリンピックを控えて



お互いにどう向き合い、付き合えば良いのか分からないまま、それを何となく綺麗事を交えつつ先送りにしてきた国で開催されるパラリンピック。
来年にはそのツケが思い切り回ってきて、思い知らされることでしょう。


個人的な見解です。
はっきり言ってパラリンピックの開催国としての資格は、この国には無いと思っています。
10年早い。


では2020年はどうすれば良いのか?
パラリンピックはどう観戦すれば良いのか?


簡単な話です。


オリンピックと同じように観て、応援すれば良いのです。そして興味が無いなら観なければ良い。ただそれだけです。












まとめ



アタクシが一番嫌だと感じるのが、障害を持った方に対しての哀れみの強要。同情することが正しいかのような価値観の押し売り。
個人の不幸を『悲劇』としてエンターテイメント化し、それを疑いもせずに受け入れる感性。
募金をしたら義務を果たしたかのような気持ちになり、自分が健常者であることに安心し、次の日には何も変わらないまま自分の日常に戻る。


狂気の沙汰ではありませんか?


障害とは誰にでも起こり得る怪我や病気の延長にある状態を指す言葉であって、グループ分けのタグではありません




いうようなことを書く必要がいずれ無くなる、と良いと思います。