進撃の巨人を知らない子が居たので気付いたのですが、連載開始からもう約10年経つのですね。
今の中学生が幼稚園児だった頃か..。
我々おじさんおばさんにとって2010年なんて最近に感じますが、こういうところから世代ギャップが生じるのでしょう。


なのに


この一年間のことを思い出してみると、あれ?そんなに最近のこと?なんて感覚がしたりします。
消費税の増税なんかもそう。
すっかり忘れつつあります。


この『最近のことは遠い昔に感じ、昔のことは最近のように感じる』という現象は人間の不思議さをよく表しているように思えます。



( ̄ー ̄)「あるよね、そういうこと」



しかし、そうした人間ならではな変な部分も、いつしか人間だけのものではなくなるのかもしれません。










擬似的な自我と人間の自我の違い



ディープラーニングという言葉を聞いたことがあるかもしれません。AIのような人工知能が、莫大なデータを繰り返し学習することで、生身の人間と変わらないコミュニケーションや反応が可能になる、という話です。


もちろんAIなのだから、そう反応するように作られたからそうなった、と言えるのですが、だとすれば生身の人間は違うのでしょうか?


人間の、というか生物としての本能から来る反応を除き、社会的なコミュニケーションなどは赤ちゃんから幼児、子供時代を経てその経験や周囲からの影響などで学んでいくものだと思います。


両者が基本的には同じもののように感じてしまうのはアタクシだけではないかもしれません。



( ・∀・)「また変なこと考えてるね」



こんなことを書いているのは、最近リモート会議や打ち合わせをしている人を良く見るようになったからなのですが、画面の向こうの相手が生身かどうかは、実はあまり関係ないように感じます。
要するにきちんとコミュニケーション出来て、仕事が前に進めばいいのですから。


将来的にAIを活用した教育が当たり前になった時、その教え子達がどんな社会を築いていくのかは興味深いとこです。


友達が生身かAIかどうかを気にしなくなる時代が来たりするのかもしれませんね。










まとめ



電池の切れた時計が溜まってしまい、まとめて電池を買いに行くことになりました。
アタクシはセルフ交換派なんです。
が、使用している電池の型番が意外にわからなかったりするものです。


あ、思い出した。


アタクシがその昔、こんなブログを書いていたこともありました。





中身ぐちゃぐちゃになってますが、電池交換の際などに電池の型番がわかるようになっていたり微妙に便利です。
写真のリンクを踏むとストアに行ったりしますが、買わなければ何ともなりませんのでご安心ください。


というか、自分のブログを見ながら電池を買いに行くというのもマヌケな話です。