聖闘士星矢ライジングコスモをプレイ中です。
たまたま運良く序盤に黄金聖闘士のカミュとアルデバランを引き当て、黄金の星矢も引いたのでパーティーが豪華なアタクシ。


原作の中では



( ・∀・)「黄金聖闘士と青銅聖闘士は天と地ほどの差がある」
( ≧∀≦)「聖闘士の強さは聖衣の色ではない」



とか、どっちなんだよw!という台詞がありますが、恐らくは中身の人間の強さのことを言っているのではないかと思っています。
黄金の聖衣を纏うだけの資格のある戦士こそがうんたらかんたら。


ゲームではどうなのか、と言えば‥まあ予想通りレベルとスキル次第、といったところ。
使い方によらなくても初期レベルのアルデバランは覚醒魔鈴さんには及ばないし、そこそこ育てた氷河の方が手にいれたばかりの師匠(カミュ)より強い。



( ≧∀≦)「きちんと考えて編成すれば青銅のユニコーンやウルフでずっと勝ち進めるんだよね」



要するに小宇宙をどんだけ燃やせるかで戦いは決まる。そんなゲーム。











厳しくも優しいは通用しない?



聖闘士星矢の登場キャラクターでもぶっちぎりの人気を誇るのが12人の黄金聖闘士。その中でもアタクシが一番好きなのが水瓶座のカミュ。
準主役の氷河の師匠にして絶対零度の闘気の使い手。


主人公達の師匠はだいたいみんな異常に弟子に厳しいのですが、氷のイメージと無表情からかカミュは抜群に厳しいイメージ。


本編でもまだ未熟な弟子に向けて躊躇なく最大奥義を放ったり、かなりのスパルタ先生です。
ただ、黙って弟子を助けたり優しさにも溢れているのですが、いちいちそれを説明しないので余程の近親者でなければただのドSにしか思われない。


アタクシ、そんなカミュが大好きなのです。




ご存知聖闘士星矢は昭和の作品。
まだ日本人の中に努力と根性で全てをなんとかする方程式が色濃かった時代の物語です。
厳しい師匠にぼろぼろになるまで鍛えてもらい、そこから何かに目覚め、師匠を乗り越えると同時にその厳しい中の優しさを理解する、というのが定番‥だったのです。


そして時代は令和になりました。


アタクシ思うのですが、このやり方はすでに全く通用しないのではないのかと。
というか、同じことを今やれば弟子達は3日で訓練に来なくなり、一人で待つ師匠のところには弟子ではなく弁護士がやってきそう。
その結果、後継者不足が深刻となり最終的には黄金聖闘士の高齢化が止まらない。



( ・∀・)「俺は古い柵にとらわれずフリーでやる」



いつしか黄金でも青銅でもないフリーの聖闘士が増えて、何か起きた時だけ黒いナイロンの聖衣箱を背負って自転車でやって来る。そんな時代が来たのかもしれません。




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ちなみに師匠のスキルには優しさの欠片もありません。