松戸市は時短&制限付きながらも運動会などの学校行事は観客を入れて行う方針のようでした。
やらないのかな?いや、やっても無観客だろうな‥という予想を覆し、一家族二人まで(しかし立ち見)での開催。
運動嫌いのうちの娘なんかはアタクシに似て



( ・∀・)「運動会とかマジいらねー」



と言ってました。
運動会というものは、子供の身体的成長を保護者に分かりやすい形で見せる機会を設けました!的なものだと思ってるので、子供にとってはテストの答案を貼り出されるような感じ。人によっては嫌だと思いますが、保護者のほとんどは



( ;∀;)「ハイハイしてたあの子がこんなに成長して‥‥」



となるので、とりあえずやればいいんです
それでみんな喜ぶならいいか、という大人な考えも育まれることでしょう、たぶん。



そういえば


日本ダービーが開催されました。
少し観客を入れてやったのが去年と違うところ。
ちなみにうちの近くにはJRA中山競馬場があります。
一度生でG1レースを観たことがあるという方はご存知でしょうが、野球だろうがサッカーだろうがあそこまで観客数が多く集まるスポーツ(お金賭けなければスポーツ)は競馬以外には無いと思います。
いったい何万人入るんでしょうか?
ディズニーランドの入場者とそれほど変わらないんじゃないかと思うほどです。


それがレース前のファンファーレが鳴り終わると同時に雄叫びを上げるのです。まさに地の底から震えが来るようなウオオオオオオというやつが。


馬も人間と同じで、それで舞い上がってしまい本来の力が出せなかったり、逆にそれらの歓声が自分を応援するものだと感じて普段より力を出したり、いろいろ居るみたいです。


今年はウマ娘人気もあり、競馬は割と注目されてるらしいですが、ここまでディープインパクトの子供達が時代を席巻するとは思ってませんでした。あいつ本当すげーな。


でもディープインパクトってウマ娘に居ないな。









大人の事情は何故『大人の』なのか?



良く言われる大人の事情、というもの。
所謂『言葉として説明するのは色々と難しいこともあるけど察してみてね』という感じの意味で使われます。


最近はやや拡大解釈されて



( ・∀・)「いや、それはちゃんと説明しろよ」



的なものにも使われています。この場合は単に説明したくないからなんでしょう。


そもそも何故大人の事情なんて表現をするのか?


キーとなるのは『察する』という行為。


大人は子供と違って察する能力が高いから、直接説明しなくても複雑な裏側の事情も想像してくれるはず→大人だからこちらの都合の悪さも察して、それ以上は突っ込んでこないだろう‥


という考え方から生まれたのが大人の事情という言葉。



(  ̄ー ̄)「なるほど」
( ・∀・)「大人はみんな察する生き物なのね」



ところがそんなことはないのです。








察しない大人



アタクシが常々言っておりますが、人々の考え方というのは、3つに分かれます。キレイに2つに分かれることは無いのです。


仮にここで匿名アンケートを取ったとします。


VAPEBOOKMARKというブログに対して、もうVAPEブログを名乗る資格は無いと思いますか?という内容です。


yesかnoで簡単に回答出来るものですし、どう答えても匿名性は守られます。さあyesですか?noですか?


恐らく結果はyesとnoとどちらとも思わないという回答で何となく3分されるかと思います。


アンケートの内容を変えて、例えば財布を拾ったら警察に届けるか?というものでも(実際に目の前に財布が落ちてればほとんどの人が警察に届けるとしてもアンケート上は)、届ける、届けない、わからない、という回答に分かれる筈です。
それも圧倒的な偏りが無い形でまとまることが多いのです。


何が言いたいのかと言えば、大人の事情と言われて、その内容を察したり、なおかつ理解して相手の思うような行動を取る大人は決して多くは無いということ。









トイレの貼り紙



男性用トイレに入るとよく見るのが


『いつもキレイに使って頂きありがとうございます』


という貼り紙。
これを見て


( ≧∀≦)「いやいやどういたしまして」
(  ̄ー ̄)「別にいつもここ使う訳じゃないけどな」


という人も3割くらいは居るのです。
そして


( ・∀・)「ここのトイレはみんなキレイに使ってるから自分だけが汚すのは良くないな」


と考える人も居て、さらに


( ・∇・)「これはお礼を言われると、それに反する行動を取り辛くなる行動心理学に基づいた‥‥」


なんて人も居るのです。
ただし、結果として人の心には訴えられ、何もしていなかった時よりもトイレが汚れなくなった訳です。
実際には意図を察していない人も居るのに、そんなことは関係なく望んだ結果を得た、というのがポイントです。


察する=空気を読む


という言い方もあるとは思いますが、そろそろこのきちんとした大人なら察して!という強要も社会に合わなくなってきているのかな、と思ったりします。









まとめ



この記事を書いている時に星野源さんと新垣結衣さんのニュースが。
アタクシは残り3割の『どちらとも思わない』なのですが、ぶっちゃけお祝いムードが大きければ大きいほど、心の中で『クソがっ!』という人も多いのでしょう。