オリンピックが一年延期され、本来はプレゼンターをする予定だった嵐が活動休止により表に出られなくなりました。
最終的に櫻井翔さんと相葉雅紀さんが二人でそれを務めることになるそうです。何故この二人になったのかは大人の事情をこねくりまわした結果なのでしょうが、もはやこの二人にしておけば大きな失敗は起きないだろう、という雰囲気に対しては



( ・∀・)「二人ともビッグになったねー」



と感慨深いです(ちなみにアタクシは嵐の相葉くんの大ファンです)。


でもなんか最近特に芸能人のスキャンダルが多いように思えます。まあ、無いとは思いますが自分の好きなタレントのスキャンダルが報じられたら‥やっぱりショックかも。
仮に法には触れない事件だとしても、活動自粛とか事務所を退所とかいろいろ起こるでしょう。


興味の無いタレントや芸能人が何かやらかしても



( ・∀・)「別にここまでする必要無いんじゃないのー」



とか思いますが、いざ自分の推しが何かやらかしたら‥と思うと、その時点できちんと問題への対処が終わっていたとしても



( ・`д・´)「きちんと説明せいっ!」



という気持ちになるんですかね?
何事も無かったように活動を再開するのを苦々しく感じたりするんですかね?


かわいさ余って憎さ百倍


タレントや芸能人だけではなく、一般企業もそのあたりは同じなのだと思います。問題への対処を上手くやれば逆に世間を味方に付けることが出来ると思いますし、逆にそれを誤ると膨大な数のアンチを生んでしまうでしょう。


今回はそうした問題への対処について、ちょっと普段とは違う観点で考えてみたいと思います。










穢れと禊



【穢れ(けがれ)】


清くない状態。良くないものに触れられた状態。
穢れと言うものは汚れとは違いますので、除菌や消臭、洗剤で洗おうが取り除けません。
なので具体的に説明するのは難しいです。意識的な要素も多いと思います。


代表的なものは『死の穢れ』です。
死体を見た、触れた人は穢れていると考えられます。
確かに感染症の観点から見れば衛生的ではないかもしれませんが、そうした面が万全であったとしても、死体に関わっただけで穢れからは逃れられないとされます。


日本神話の中でもイザナギ神とイザナミ神の話は有名です。死後に醜くなった妻を見て、逃げ出した夫。穢れを祓う為に海水で目や口、鼻を洗ったと記されています。


他には『罪の穢れ』です。
罪を犯した人間は穢れており、その人物の住居や持ち物、触れた物なども穢れが付いていると考えられます。
罪を償った後でも罪の穢れが消える、という考え方は無いので、恐らく何らかの罪を犯したら、ずっと穢れたままなのでしょう。


ちょっともうコレは‥というものは『世俗の穢れ』です。
人間社会で生きている限り穢れている、という考え方ですが、例えば神域などに入る際にはこうした僅かな穢れすら許されなかったりするのです。


こうした『穢れ』という概念ですが、聞いた限りですが欧米には存在しないものだそうです。
アジアには似たような考え方があるものの、あくまでも何となく、といったレベル。日本のように明確な概念として存在するわけでは無さそうです。


この『穢れ』というもの。
洗剤も効果無しとなると、かなり厄介に思えますが、取り除くのはそれほど難しくありません。


穢れを取り除く行為を


【禊(みそぎ)】


と読んでいます。



( ・∀・)「みそぎ?」



禊には様々な方法があり主に


①神様の力を借りる
②自分でやる


この二つがあります。
①については神社でのお祓いなどが代表的。お守りを買ったりするのも同じ意味です。
②については清めのお塩を撒いたり盛ったりなどなど。



さて、ここまで読んでどんな感想をお持ちになりますか?



( ・∀・)「うーん、実際には存在しないものを『ある』として、それを取り除くためにわざわざ時間と手間を掛けてる気がするなー」



それは穢れに関して説明を受けたあとの欧米の方々の感想と同じですね。



( ・∀・)「だって、意味、ないよね」



実は、この意味の無い(と思える)ものを『祓った』と言えることが日本では割と重要視されるのです。











禊が必要とされる社会



「ゴメンで済んだら警察要らない」


というフレーズ。
昭和世代なら知ってると思います。
何か問題が起きて、原因となった出来事に対して謝ってもらったとしても、それじゃ償いにならない、という意味の言葉です。


ただ


仮に問題を起こした人が警察に捕まって罪に問われ、その末に罰則が適応されたとします。
ゴメンで済まないことをしたから警察に捕まった。しかも罰も受けた。これで被害を被った方が納得したかと思えば‥



( ・`д・´)「これで犯した罪が消えたわけじゃないから!」



犯した罪は、それに釣り合う罰で相殺する。
これが法治国家のルールであり、それ以上に何かを科せるのは私刑の扱いになり、禁止されています。
なのに、こうした場合非常に多くの方がこのように思うのです。


犯した罪は消えない、と。


しかし罪を償った以上、さらに何かをさせる訳にはいかないのです。そこで加害者に無形の枷を付けることになります。


それが穢れ


この穢れを取り除く為に必要な『禊』こそ、被害に遭った多くの人を納得させるものとなります。



( ・∀・)「何かしらの我慢や面倒をやってもらうってことね」









穢れと禊は現代に残った私刑のシステム



今でこそ民主主義だ、法治国家だと言ってますが、明治以前はその整備もほとんど未熟と言って良かった訳です。
何しろ仇討ちなんかが美化されていた時代です。私刑が厳しく禁止されていないことは法治国家としてはガバガバ。
そもそも警察機構が大都市部しか機能してないもんだから、基本的に面倒ごとは当事者同士で解決してほしいってのが幕府の本音でした。
悪代官が私腹を肥やす仕組みはまさに人治国家。


しかし


この仕組みがあまりに上手くいってしまった


恐らくは太古より綿々と連なる『穢れや禊の考え方』と、江戸時代以前のシステムが意外な程にマッチしていたのだと思われます。
何しろこの国が建国される前から存在している概念ですが、もはや日本人のアイデンティティーと読んでもあんまり差し支えはないのかもしれません。




近代化。
法整備が行われ、こうした実体の無いものについて語ったりすること自体が愚かだと考える、のが正しいという風潮が生まれました。


穢れや禊だけでなく、祟りや呪い、霊的なものや神仏ですらその対象となったのです。




人間そんなにガラリとは変われない。
いや、変わったように見えても中身はそうじゃない。
ただ、そんなの外見から分かりませんので、この言ってみれば


隠されたアイデンティティー


は、それから先もずっと日本人の中にあり続けていた、と考えられます。


つまり


穢れと禊とは、古くからある日本人のアイデンティティーから生まれた、現代に残る私刑のシステム


なのではないでしょうか。










まとめ



問題が起きた時の上手い対処の仕方、なんて言ってますが、要するに


『問題を起こしたことで穢れたということを意識し、この問題について納得がいかない人達へ向けてとなり得る行動を起こす』


ということです。


言い方は悪いですが、私刑を甘んじて受け入れる態度こそが、結果的に『災いを転じて福となす』というものに繋がるのかもしれません。



( ・∀・)「なんか全体的に後味悪い記事」



アタクシなんかは禊が間に合わない速度で穢れていくタイプですが、何かあった時の為(?)に、このあたりを頭の片隅に置いておこうと思ってます。