更新頻度が低くなり申し訳ありません。
元気にしております。
飛び飛び休みの中の平日、嫌々ながらも働いてます。


すっかり秋ですね。
先日、実家からその辺で拾った栗が届きまして、そんなもん自分たちで食えよ!とツッコミながら炊き込みご飯にしました。
一緒に届いたのが新米。
こちらは父が自分で育てたのだとか。それは凄い。拾った栗とのギャップが大きいのが気になります。


そういえばアタクシ、ワクチン二回目難民と化しておりましたが、奥様の機転で接種出来ました。


何でもかんでも「ネットで」というのも便利ですが、今まさに起きていることがネットに反映されるまでには、人的作業によるタイムラグがあるんですよね。
人気のケーキ屋さんで、商品が残り2つ!というのをネットにアップするより、今そこに居るお客さんに「あと2つですよ」と言った方が手間無くしかも早く売れる。みたいなものかと。


この前、秘書が健康診断を受けてきたそうですが、今はバリウム→レントゲンの料金と、胃カメラの料金はほとんど変わらないのだとか。
体質にもよるでしょうが、バリウムの面倒さを考えたら、最初から胃カメラにした方が色々と良い気がします。今の胃カメラなんか凄いしね。











健康って何なの



今、うちの奥様が介護関係の資格取得の為に毎日勉強中です。
試験問題(回答)は選択式なのですが、最近の傾向なのか「誤ったものを選びなさい」というのが無くなり、代わりに「正しいものを~」「最も正しいものを~」という書き方になったみたいです。


奥様の指示により、テキストはアタクシも目を通していて、この文は何が言いたいのか分からない、なんて時にはフォローしたりします。
そんなこんなで、アタクシも割とそっち方面の知識が望まなくても増えていくのですが、介護というものは最終的に


(どんな結末を迎えようと)本人が望む形に近づける


ということに尽きるのかなと感じます。
これをやらないとすぐ命に関わる、といったケース以外では、長期的に見ればあまりよろしくなさそうなことでも、本人が望むなら出来るだけ尊重する、という。


友達と何処かに出かけたり、家族親戚とコミュニケーションしたり、美味しいものを食べたり、というのがきっと幸せなんだろう、という幸福の最大公約数みたいなものを押し付けず、その人が希望することを最後までなるべく制限なく出来るようにしてあげることの方が幸せなんじゃないのか?


そういう考え方はとても柔軟で好きです。
でも介護の資格のテキストに書いてあるからといって、現実がそうなってるかどうかは別の話ですよね。
運用可能な枠組みの中に落とし込めば、そのあたりはぼやけてしまうこともあるのでしょうが、勉強しなきゃならないことの中に、そうした考え方が押さえてある、というのは良いことだなーと感じます。


こうして考えてみると、肉体的な健康が即ち幸せと同義ではないのかもしれないと思い始めてしまいます、









まとめ



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満月だったので家族でお月見をしました。


絵日記みたいな文ですいません。
ベランダに椅子を出してお菓子を食べながら飲み物をいただく程度ですが、雲も無く綺麗な月が見えました。


何処かに出かけたりしなくても出来るイベントというのは、割とあるもんだと思います。